Terminal Island Japanese Fishing Village Memorial
カリフォルニア州サンペドロのターミナルアイランド。港の工業地帯にひっそりと佇む「ターミナルアイランド日本人漁村記念碑」は、かつてここにあった活気あふれる日本人コミュニティ「故郷(Furusato)」の記憶を今に伝えます。20世紀初頭、約3,000人の日本人移民とその子孫が築いたこの村は、第二次世界大戦中の強制立ち退きによって一夜にして消滅しました。この記念碑は、彼らの貢献と悲劇、そして不屈の精神を物語るシンボルです。このブログでは、記念碑の背景、コミュニティの歴史、訪問の魅力、そして今も続く遺産の保存運動についてご紹介します。
故郷:繁栄した日本人漁村の物語
ターミナルアイランドのフィッシュハーバー、かつて「イースト・サンペドロ」と呼ばれたエリアに、「故郷」と呼ばれる日本人漁村がありました。1900年代初頭から1940年代にかけて、約3,000人の日本人移民(一世)とアメリカ生まれの二世・三世が暮らすこのコミュニティは、孤立したアイランドの環境から独自の文化を生み出しました。
住民たちは南カリフォルニアの漁業を支え、特にツナ缶詰産業の先駆者として大きな役割を果たしました。約250隻の漁船を操業し、Van Camp SeafoodやWhite Star Canning Companyなどの缶詰工場で働いた彼らは、ツナを「海の鶏肉」としてアメリカの食卓に広めました。村の中心、Tuna Streetには商店やカフェが立ち並び、神社、仏教寺院、柔道・剣道の道場、漁師会館がコミュニティの心を支えました。子供たちはWalizer小学校に通い、フェリーでサンペドロ高校へ。端午の節句やひな祭りなどの日本の伝統行事も盛大に祝われ、家族のような絆で結ばれた村でした。
悲劇の歴史:強制立ち退きと村の消滅
1941年12月7日の真珠湾攻撃後、反日感情がアメリカ西海岸を席巻。ターミナルアイランドの漁師たちは、深度計などの機器を使っていたことからスパイと疑われ、標的となりました。1942年2月19日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名し、日本人コミュニティの強制立ち退きが始まりました。ターミナルアイランドの住民は全米で最初に退去を命じられ、わずか48時間以内に家を離れることを強いられました。
住民たちはカリフォルニア州オーウェンズバレーのマンザナー収容所などに送られ、村は米海軍によって破壊されました。家屋、商店、神社は跡形もなく取り壊され、漁船は没収、売却、または破壊。1945年に収容所から解放された住民が戻ったとき、愛する故郷は消滅し、わずか25ドルとバスチケットだけが支給されました。この喪失は、物理的な家だけでなく、コミュニティの文化と絆を奪うものでした。
現存するわずかな痕跡と保存の取り組み
現在、故郷の物理的遺産は、Tuna Streetに残る2つの建物—1918年創業のNanka Shoten(雑貨店)と1923年創業のA. Nakamura Co.(食料品店)—だけです。しかし、ロサンゼルス港のコンテナ保管計画により、これらの建物は取り壊しの危機に瀕しています。
ターミナルアイランダーズ協会やロサンゼルス・コンサーバンシーは、博物館や教育センターとしての保存を提唱。2025年2月、ティム・マコスカー市議会議員がロサンゼルス歴史文化記念物指定の動議を提出し、全米歴史保存トラストの「2025年最も危機に瀕する歴史的場所11」に選ばれました。保存が実現すれば、これらの建物は日本人アメリカ人の歴史を後世に伝える貴重な拠点となるでしょう。
Address : 712 Tuna St, San Pedro, CA 90731
記念碑:過去を繋ぐシンボル
故郷の記憶を後世に残すため、1971年に元住民とその子孫が「ターミナルアイランダーズクラブ」を結成。長年の努力の末、2002年にフィッシュハーバー(1124 S Seaside Ave, San Pedro, CA)に「ターミナルアイランド日本人漁村記念碑」が建立されました。
おわりに
ターミナルアイランド日本人漁村記念碑は、日系移民の苦難と誇りを静かに伝える場所です。観光地としてにぎやかな場所ではありませんが、だからこそ、深く心に残る体験ができると感じました。
鳥居を模した構造の中央には、網を引く二人の漁師の銅像がたたずんでいます。彼らは、この島で暮らした一世たちの象徴です。
もし、ロサンゼルス近郊に訪れることがあれば、ぜひ一度この記念碑に足を運んでみてください。そこには、海を渡ってきた日本人たちの“声なき語り”が、確かに残されています。
ガラスのパネルには、当時の写真とともに詩が刻まれています。
Black current off our shore
Fishes so plentiful
Yet, hardships parents endured
We remember
And honor forever
Our village no more
(直訳:
岸辺を流れる黒潮
魚は豊富に獲れた
それでも、親たちの苦労は計り知れなかった
私たちはそれを思い出し
永遠に称えよう
もはや存在しない私たちの村を)
Terminal Island Japanese Fishing Village Memorial
Address : 1124 S Seaside Ave, San Pedro, CA 90731
Sampedro WEB : https://sanpedro.com/san-pedro-area-points-interest/japanese-memorial-terminal-island/
LA Conservancy WEB: https://www.laconservancy.org/japanese-american-history-at-terminal-island/
Messy Nessy Chic WEB : https://www.messynessychic.com/2021/11/23/the-japanese-fishing-village-that-vanished-from-los-angeles/
Yelp : https://www.yelp.com/biz/terminal-island-memorial-los-angeles